プレアヴィヒア寺院と聞いて、どんなイメージが浮かびますか?

「カンボジアの世界遺産」「タイとの国境にある遺跡」「領土問題で話題になった場所」。
おそらくそんな言葉が先に立つかもしれません。

私が住んでいるタイ東北部のブリーラムには、プレアヴィヒアとよく似た遺跡、パノムルン神殿があります。
どちらもかつてのクメール帝国の名残を今に伝える、美しくて、どこか神聖で、静かな場所。
住んでいると、ふとした瞬間に思うんです。

そもそも、これらの遺跡を「どこの国のものか」で語ること自体が、何か違うんじゃないかって。

どちらも国境を越えて存在していた文明のかけらであり、かつての人々が神々に祈りを捧げた場所。
それが今、現代の線引きによって争いの火種になってしまう。
そんな現実に触れるたびに、私はこう考えてしまいます。

神々は、この人間の争いを、どんな気持ちで見ているんだろう?

この記事では、カンボジアの世界遺産・プレアヴィヒア寺院の魅力をはじめ、タイからの行き方カンボジア側からのアクセス方法まで、実際に訪れる際に役立つ情報をお届けします。


この寺院をめぐる領土問題や過去のカンボジア武力衝突の原因など、観光地の裏側にある歴史と現実にも触れながら、国境を越えて残る遺産の意味を一緒に考えていきます。


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プレアヴィヒア寺院とは

みなさんは、「カンボジアの世界遺産」と聞いて、何を思い浮かべますか?
多くの方がまず思い出すのは、あの壮大なアンコールワットかもしれませんね。
でも、実はもうひとつ、知る人ぞ知る世界遺産があるんです。

それが、カンボジアの北部、タイとの国境近くにあるプレアヴィヒア寺院
「こんな場所が本当に実在するの?」と思ってしまうほど、ドラマチックなロケーションにある寺院です。

断崖絶壁に建つ“天空の寺院”

プレアヴィヒア寺院は、標高625メートルのダンレク山脈の崖の上に建っています。
見下ろせばカンボジアの大地が一望でき、まるで空に浮かんでいるかのよう。
そのため、“天空の寺院”なんて呼ばれることもあるんですよ。

建立されたのは、11世紀ごろ。アンコール時代、クメール帝国が最も栄えていた頃に建てられました。
信仰の対象は、ヒンドゥー教のシヴァ神。石造りの参道と聖堂が一直線に並ぶレイアウトは、自然と神殿を融合させたような美しさがあります。

観光客の少ない静かな環境で、歴史と向き合えるのも魅力のひとつ。
「有名じゃないからこそ、自分だけの特別な体験ができる」そんな場所なんです。

2008年、プレアヴィヒア寺院はユネスコ世界遺産に登録されました。
その歴史的価値、建築の独自性、自然と調和した美しさが高く評価された結果です。

ですが実は、この登録をめぐってタイとカンボジアの領土問題が再び激化してしまいます。
「どちらの国に属するのか?」という長年の対立が、観光地を火種に再燃してしまったんですね。

このあたりの背景については、記事の後半で詳しく解説していきます。


カンボジアからプレアヴィヒア寺院への行き方

「プレアヴィヒア寺院って、実際どうやって行くの?」
そう思った方、きっと多いはずです。

結論から言うと、今はカンボジア側から行くのが王道です。
タイ側の国境は政治的な事情で長く閉ざされたまま。
だから、まずはカンボジアに入国してから寺院を目指すことになります。


プノンペン・シェムリアップからの行き方

最寄りはプレアヴィヒア州の「スラエム」という静かな町ですが、ほとんどの旅行者はシェムリアッププノンペンなどの大都市から向かいます。

  • シェムリアップ → 寺院:車でおよそ5〜6時間
    道中は舗装されているものの、村を抜けるたびに牛や鶏がのんびり道路を横切り、子どもたちが全力で手を振ってくれます。
    窓を少し開ければ、風に混ざって干し草や揚げバナナの香りがふっと流れ込んできて、つい笑顔になってしまうはず。

移動は専用車のチャーターが一番安心で、気さくなドライバーなら途中で絶景ポイントや屋台に寄ってくれることもあります。
「ここの揚げ餅、食べてみる?」なんて、ちょっとしたやりとりも旅の楽しみ。
一方、冒険派ならバスとバイクタクシーを乗り継ぐ手もありますが、日焼けと砂ぼこりには覚悟が必要です。


前泊するならスラアムの町がおすすめです。
スラエムには素朴なゲストハウスやローカルホテルが数軒。
夜になると街灯が少なく、空を見上げれば驚くほどの星の数に息をのむはず。
静かな夜風の中で「明日はどんな景色が見られるんだろう」と胸が高鳴ります。

地元の人は人懐っこく、「どこから来たの?」と笑顔で話しかけてくれることもしばしば。
こういう温かさに触れると、旅っていいなとしみじみ感じます。


プレアヴィヒア寺院の入場料

寺院のふもとにあるチケットオフィスで
約10ドルの入場券
を購入し、四輪駆動トラックに乗り換えます。
坂道はぐんぐん急になり、エンジン音が力強く響く中、窓の外には深い緑が広がります。
風が頬をなで、どこからか鳥の鳴き声が混ざって聞こえてくる。
それだけで「遠くまで来たんだな」と実感する瞬間です。


到着した瞬間、目の前に広がるのは、苔むした遺跡の向こうに見える、果てしないカンボジアの平原とタイの山並み。
頬をすり抜ける風は少しひんやりしていて、遠くから僧侶のお経がかすかに響くこともあります。
長旅の疲れも、ここで一気に吹き飛んでしまいます。

石段を踏みしめる足の裏に伝わる砂岩のざらつき、陽に温められた石の香り。
その全部が、この場所の何百年もの歴史を静かに語りかけてくるようです。


門をくぐると、薄暗い回廊にひんやりとした空気が流れています。
壁一面には細やかなレリーフが刻まれ、香のかすかな香りが漂い、天井近くで小鳥がさえずっています。
「ここは千年もの間、人々の祈りを受け止めてきたんだ…」と、自然と息を潜めてしまうはず。

服装はスニーカーなど動きやすい靴が安心。
午前中のやわらかな光は写真にも最高で、石の色が一段と温かみを増します。


タイ側のプレアヴィヒア寺院の国境の現状

「地図で見ると、タイからすぐ近くなのに……なんで行けないの?」
そう感じた方もいるかもしれません。
実際、プレアヴィヒア寺院はタイ東北部のブリーラムやシーサケート県と隣接していて、距離的にはとても近いんです。

でも結論から言うと、今のところ、タイ側からプレアヴィヒア寺院へ直接入ることはできません
それには、歴史的にも政治的にも少し複雑な背景があるんです。

かつてはタイ側からも入れた

実は2000年代前半までは、タイ側(シーサケート県カンタールラック郡)からプレアヴィヒア寺院への登山道が開放されていて、そこから入る旅行者もいました。
車で山の麓まで行き、そこから徒歩で登っていく、というルートです。

そのため、タイ国内から日帰りで訪れる外国人観光客も一定数いたのですが……

2008年以降、プレアヴィヒア寺院をめぐるタイとカンボジアの対立が激化。
国境地帯での軍事的緊張が高まり、タイ側ルートは安全上の理由から完全に封鎖されてしまいました

その後、断続的に衝突が続き、2025年にも再び軍事衝突が発生。
それを受けて、タイ政府は観光目的での入域を引き続き制限中です。

つまり、たとえ物理的には道があっても、現在はタイからの入場は事実上不可能
国境検問所も、一般の旅行者が気軽に通れる状況にはなっていません。

タイ側からプレアヴィヒア寺院を見るには

とはいえ、プレアヴィヒア寺院の姿を“遠くから見る”ことは、タイ側からでも可能です。

たとえば、シーサケート県の「カオプラウィハーン国立公園」では、断崖の展望台からカンボジア側を一望することができます。
プレアヴィヒア寺院そのものは見えにくいものの、周囲の山並みや遺跡のある台地を眺めるだけでも、歴史の重みを感じる体験になります。

ただしこの国立公園も、情勢によっては一時的に閉鎖されることがあるので、最新の情報を必ず確認してから訪れてください

「すぐそこなのに、行けない場所」
それが、プレアヴィヒア寺院をタイ側から見たときの不思議な印象です。
このもどかしさも、タイ・カンボジア間の歴史的な複雑さを物語っているのかもしれません。


プレアヴィヒア寺院が国境紛争の原因になる理由

「こんな美しい世界遺産が、どうして争いの原因に?」
プレアヴィヒア寺院を初めて目にしたとき、そう思う方は少なくありません。
でもこの場所は、“ただの観光地”ではないんです。

むしろその価値の高さが、タイとカンボジアの“国のプライド”に触れる場所だったのです。


プレアヴィヒア寺院の世界遺産登録

プレアヴィヒア寺院は、2008年にユネスコ世界遺産に登録されました。
登録自体はカンボジア側の申請によるもので、実際に寺院はカンボジア領内にあります。

ただし問題は、その周辺の土地(寺院の土台部分を含むエリア)について、タイとカンボジアの両国が長年領有権を主張してきたという点。
つまり、「この土地は誰のものか?」という争いが、寺院の“すぐ隣”でずっと続いていたわけです。

世界遺産登録は、文化的には素晴らしいニュースでしたが、
タイ側では「主権が侵害された」と反発の声が広がり、デモや政治的混乱にも発展しました。
それが最終的に、軍を動かす事態にまで発展してしまったのです。


戦略拠点としてのプレアヴィヒア寺院

もうひとつ重要なのは、プレアヴィヒア寺院の立地。
この寺院、実は断崖の上に建てられていて、そこからはタイ領内を一望できる絶好の“監視ポイント”でもあるのです。

つまり、単なる遺跡というより、「軍事的に見て重要な高台」という側面もある。

両国が領有権を主張する背景には、こうした「観光以上の意味合い」も含まれているんですね。


この争いの中で、最も翻弄されたのは国境地帯に住む人々かもしれません。

実際、寺院のすぐ近くに住むカンボジア系タイ人の家庭や、カンボジアの農村に暮らす住民の多くは、争いとは無関係な生活を送ってきました。
それが突如として、「ここはどっちの国の土地だ」と言われ、戦車や兵士が来るような状況になってしまった

観光地としての魅力に目を奪われがちですが、この土地には、日常の中に“国境の緊張”が織り込まれているという現実があります。


美しい遺跡の陰にある、複雑な歴史と国際関係。
プレアヴィヒア寺院がなぜここまで注目され、なぜ争いの象徴にもなってしまったのか。
それを知ってから訪れると、この場所が放つ静けさの奥に、もうひとつの物語が見えてくるかもしれません。


※タイとカンボジアの国境紛争について詳しくはこちらの記事をご覧ください。↓


プレアヴィヒア寺院の歴史

プレアヴィヒア寺院を訪れると、最初に感じるのは「こんな場所に、どうやって建てたの?」という驚きではないでしょうか。
標高625メートルの断崖に築かれた石の神殿は、まるで空に向かってそびえる聖域。
ですが、その荘厳さの背後には、ある強大な古代国家の戦略と信仰が深く関わっています。

そう、それが「クメール帝国」です。


クメール帝国というと、アンコール・ワットを思い浮かべる方が多いかもしれません。
でも実は、クメールの勢力は現在のカンボジアを越えて、タイ東北部(イサーン)やラオス南部にまで及んでいたんです。

プレアヴィヒア寺院は、その拡張の時代、つまり10世紀〜12世紀頃に建てられたヒンドゥー教の聖地
ちょうどクメール帝国が最も力を持ち、東南アジアにおける文化と権力の中心になっていた時代です。


ではなぜ、あんなにも険しい断崖の上に、わざわざ神殿を建てたのか。
理由のひとつは、山そのものが「聖なる場所」だったからです。

ヒンドゥー教では、宇宙の中心に「メール山(スメール山)」という神々の住まう霊峰があるとされ、プレアヴィヒアの山もその象徴として見なされていたようです。

つまり、断崖の上に神殿を築くことで“神に近づく”という宗教的意味があったんですね。
そこに戦略的な意味(高台で周囲を見渡せる)も加わり、信仰と軍事の両面からこの場所が選ばれたと考えられています。


プレアヴィヒア寺院は、アンコール・ワットと同じ「アンコール様式」で建てられていますが、構造はまったく異なります。
特徴的なのは、南北に延びる一本道のような参道
その先に複数の門や聖域が連なり、まるで山を登りながら天界に近づいていくような設計です。

石造りのレリーフや獅子像、ナーガ(蛇神)の欄干など、細部にもクメール文化の美学があふれています。
現地に立つと、かつての建築家たちが「この世に聖なる宇宙を再現しようとした」情熱を感じずにはいられません。


プレアヴィヒア寺院は、時代の流れの中で何度も主が変わり、国境紛争の火種にもなってきました。
でも、それでもなお崩れずに立ち続けているのは、この場所がただの建築物ではないからかもしれません。

そこには、王の権威、民の信仰、そしてこの地に生きた人々の願いが、静かに積み重ねられているのです。


プレアヴィヒア寺院旅行の注意点

「プレアヴィヒア寺院、ずっと行ってみたかったんです。
でも、国境にあるって聞いて、ちょっと不安で…」
そんな声、実際によく聞きます。
私自身も、初めてカンボジア側からこの遺跡を訪れた時、「今、本当にここにいていいのかな…?」と緊張しながら車に揺られていました。

でも、ちゃんと準備をしておけば大丈夫。
むしろ、知っているからこそ守れること、楽しめることがたくさんあるんです。
この記事では、そんな“行く前に知っておいてほしいこと”を、できるだけリアルにお伝えしますね。


プレアヴィヒア寺院の治安

結論から言うと、今のところカンボジア側からのアクセスは比較的安定しています
観光地として整備されていて、入り口には軍の警備もあり、物騒な雰囲気はありません。

でも…やっぱりここは国境地帯。
緊張が完全になくなったわけではなく、外交的な発言や情勢の変化によっては、突然空気が変わる可能性もゼロではありません。
だからこそ、「念のため」が大事です。

  • 渡航前には外務省の「海外安全情報」をチェック
  • 現地のツアー会社やホテルスタッフの最新の声に耳を傾ける

こうした“ちょっとした気配り”が、安全な旅につながります。


地雷の危険

残念ながら、プレアヴィヒアの周辺地域には今も完全には撤去されていない地雷原が一部残っているんです。

でも、安心してください。
観光客が立ち入るエリアは、しっかり地雷除去されていますし、看板やロープで危険エリアははっきり区切られています。

ただし、「ちょっと道を外れてみようかな…」という冒険心は禁物。
“ガイドが通らない道”には絶対に入らないこと。
これは自分の命を守るためのルールです。


おすすめの服装と持ち物

プレアヴィヒアは標高約500mの山の上にあります。
つまり、階段や坂道が多くて、しかも日差しがジリジリ強いんです。
なので、以下の持ち物リストをどうぞ:

  • 歩きやすいスニーカー(滑りやすい石段対策にも)
  • 帽子とサングラス(本気の日差しです)
  • 500mlのペットボトルは最低2本
  • 虫除け(特に夕方)
  • 上着やストール(寺院内では露出がNGです)

ちなみに、遺跡は今も神聖な宗教施設
露出の高い服装だと、入場を断られることもあります。
軽装OKなタイやバンコクのノリのまま行かないようにしましょう。


パスポートスタンプ

特に注意してほしいのが入出国のスタンプ
カンボジア側からプレアヴィヒアに行くには、ちゃんとしたイミグレーション(出入国手続き)を通る必要があります。

これ、スタッフによっては押し忘れるケースもあるので、その場で必ず確認しましょう。
「あとでトラブルになった」なんて話、実はけっこうあります。

また、国籍によってはビザが必要な場合もあるので、事前に必ず確認しておきましょうね。


不安を減らす一番の方法は、“いざという時の連絡手段を持っておくこと”。

  • 外務省の「たびレジ」に登録
  • 在カンボジア日本大使館の住所と電話番号をスマホに保存
  • 旅仲間と安否確認ルールを決めておく(たとえば「〇時までに連絡なければ確認してね」など)

「自分には関係ない」じゃなくて、「ちゃんと備えている自分」でいた方が、むしろ心が落ち着きますよ。


プレアヴィヒア寺院は、ただの遺跡じゃありません。
この場所は、歴史の中で何度も奪い合われ、守られ、祈りが重ねられてきた場所です。

だからこそ、旅人である私たちがそこに立つということには、意味があります。
「文化を知り、歴史を考える」。
それだけで、旅の深みがぐっと増す気がするんです。

少しでも不安をなくして、安心して旅に出られるように。
この記事がその助けになったら嬉しいです。




※タイとカンボジアはなぜ仲が悪いのかについて詳しくはこちらの記事をご覧ください。


プレアヴィヒア寺院から学べること

プレアヴィヒア寺院を訪れる。
それは、ただ世界遺産を見に行くだけじゃありません。

この地には、何百年も続く祈りと、争いの記憶、そして今を生きる人々の希望が、ぎゅっと詰まっています。
だからこそ、ちょっとした心構えや姿勢で、旅の意味がまるで変わってくるんです。


プレアヴィヒア寺院とヒンドゥー教

プレアヴィヒア寺院は、ヒンドゥー教と仏教が交わる神聖な場所
訪れると感じるのですが、そこにあるのは石ではなく「信仰の重み」です。

ですから、例えば

  • 静かに歩く
  • 寺院で笑い声を立てすぎない
  • 写真を撮る時も周囲への配慮を忘れない

そんなほんの少しの心配りが、旅人としての品格を作ります。

わたし自身も、地元のカンボジア人の参拝者たちと一緒に手を合わせた瞬間、言葉にできない「つながり」のようなものを感じました。
文化や宗教を「観光対象」としてだけでなく、「学び」として受け取ることで、旅はぐっと奥深くなるんです。


平和について考える

正直、この場所に来るまでは「領土問題」とか「国境紛争」なんて、どこか他人事でした。
でも、実際にその現場に立つと、景色の美しさの裏にある複雑さがじわじわ伝わってきます。

かつてこの寺院を巡って、兵士たちが命を落としたこと。
国境の村では、今でも「また戦争にならないか」と不安を抱えて生きている人たちがいること。

そんなことにほんの少しでも思いを馳せながら歩いてみると、観光地が“生きた教材”になる気がするんです。

遺跡の造形も壮観ですが、私が心に残ったのは、出会った人々の表情でした。

笑顔で迎えてくれた地元のガイドさん、
屋台で気さくに話しかけてくれたおばちゃん、
ちょっとシャイだけど優しい子どもたち…。

争いの地としてのプレアヴィヒアを見ながら、人と人とのあたたかさに触れる旅にもなったんです。

だからこそ、「あの場所、争いがあったけど人は優しかったよ」と、帰国後に誰かに伝えてもらえたら嬉しい。
そんな旅の言葉は、きっと小さな平和のタネになります。


まとめ

プレアヴィヒア寺院を巡る旅や歴史の中には、
人間の誇り、文化の継承、国家の思惑、そして信仰の痕跡が複雑に絡み合っています。
でも、そのすべてを見下ろしているのは、いつの時代も変わらず、石の上に静かにたたずむ神々の姿です。

彼らは、おそらく国境に興味なんてない。
どこの国がこの土地を治めるかよりも、
人々がどう生き、どう祈るのかを静かに見つめているのだと思います。

私たち旅人にできることは、
その静けさに耳を傾けながら、争いではなく敬意好奇心を持ってこの場所に向き合うこと。

プレアヴィヒアを思うとき、この遺跡も誰かにとって「ふるさとの一部」なんだと感じます。

どうかあなたの旅が、ただの観光ではなく、
過去と未来をつなぐ穏やかな“架け橋”になりますように。
そして、神々に胸を張って報告できるような旅になりますように。